はじめにーこのサイトを訪問されたあなたへー


 景観法のきっかけになり、
 日本中の市民運動を勇気づけたあの裁判から15年。
 当時の上原元国立市長が国立市から4500万円を請求される。
 しかも市民の要望で景観を保護したことを理由として。
 そんな事が許されてよいのだろうか?



事実経過  ●何が問題なの?  ●あなたにできること



 「市民の憩いと誇りである景観を守ってほしい!」いわゆる国立市景観訴訟は1年半に計23万筆もの署名を集め、上原市長と市議会はこの市民の要望に応えて、国立の象徴でもある桜並木に高さ制限条例を制定しました。それに対して大手マンション業者が起した損害賠償は15年後の今、国立市から上原さん個人に請求されています。上原さんはこの件で1円の利益を得たわけでなく、正規の手続きを踏んだ公務にすぎませんでした。
 市民側に立ち政策実行した市長が個人で賠償しなければならないとしたら、全国すべての改革を目指す首長は、いったいどんな方法で政策変更を実現するというのでしょうか?
 私たち勝手連は(そしてこのサイトを訪問した多くの方は)当時の景観運動からは部外者ではありますが、上原さんは国立市民はもちろん、福島や沖縄で困難に直面している人々を含め、一貫して市民自らの自治のために心を砕き、身をもって奮闘してこられました。それによって全国の多くの人々が希望を見出しました。
 市民運動とそれに応えた上原さんを潰すための、報復的スラップ(嫌がらせ)訴訟は許せません!ことはもう国立や上原さんだけの問題ではなくなっています。どうかあなたの力をお貸しください。


事実経過  ●何が問題なの?  ●あなたにできること




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コメント 3 件

トチロー より:

『澤藤統一郎の憲法日記』
http://article9.jp/wordpress/?p=7749
澤藤氏が指摘するように、上原市への損害賠償請求が、住民提起であり、法のルールに則っているのは、間違いありません。
しかし、僕は、まさにこの動きが間違っていると考えている。
「誰のための法か?」という問題ととらえることが最優先だと考える。
澤藤は、「本件訴訟で問題となっているのは、企業の利益と住民の利益との比較衡量ではありません。問題は、飽くまで、被告である元市長の行為が、法的に許されるか否かの一点のみにあるのです」という地点を評価の立脚点にしている。裁判そのものは、澤藤氏の言う通り。
しかし、この事件の背景には、景観問題があり、企業の利益と住民の利益の闘いがある。それがなければ起こらなかった出来事。背景の大幹を見ずして枝葉を評価するのは、事件の矮小化であり、すりかえの詭弁である。地下水脈は枝葉まで通じている。
別の方向からみてみよう。横断歩道を渡らなかったから道路交通法違反で逮捕した。これは別件逮捕といえども、法に則った逮捕で全く正当。しかし、横断歩道を渡らなかったことは悪いことだ、と考えている人は、極めて少数派だろう。確実に車が見えなかったら、渡る人は多い。
損害賠償裁判が、必ずしも金銭奪取だけが目的でなく、自己の尊厳と意地を賭けた闘いであり、ときに訴訟相手が、当該本人あるいは当該企業とされているものの、実質的な相手は金を払う損害保険会社になるという事実は、動かしがたい。損害賠償訴訟そのものが、代理戦争になっている。
これは、晃平君逸失利益裁判でも、係争中のハヤト裁判でも同じこと。医療過誤事件ではまさにこの代理戦争が原告患者遺族の原因究明を阻害している。
これは、国家によるべき生活保障を民間企業に委ねた結果である。

名古屋の景観運動では、暴行罪で逮捕をされる事件が起きた。腕組みをしていた住民に警備員がおおいかぶさって、それを振り払ったら、大げさに退いてトラックに当たった。いったい暴行しているのはどっちなのか?

井口博充 より:

この手のスラップ訴訟を禁止するような立法措置は考えられないのでしょうか。
それは、そうとしてこんなサイトでちまちまお金を集めていても、十分に集まらないのではないでしょうか。上原さんがいろいろな集会でこの経験を話して、不条理だと思う人が増えるよういろいろな企画をするべきでしょう。また、クラウド・ファンディングの利用なども考えた方がいいのかもしれません。

草加耕助 より:

 井口さんはご存知でしょうが、一般の議論の為に確認しておきます。
 アメリカでは州法でスラップ訴訟を禁止している場合があります(カリフォルニア州)。その方法として、被告の市民団体などが、原告の企業や政府機関などの行為はスラップであると公判で提起することができ、裁判所がその提起を審理の中で認めると原告の請求は棄却され、裁判費用は原告の負担になるという制度です(反スラップ法)

 この場合、「スラップ訴訟」の定義が問題となりますが、(1)原告が企業・公的機関などの比較強者であること、(2)被告が個人や住民・市民団体などの比較弱者であること、(3)原告への批判や反対運動など被告が公的に議論し争っている行為そのものを標的に提訴していること、(4)被告のそのような言動を抑圧して痛めつけ、後に続くものを恫喝して行動にうつすことをためらわせることが主目的であること、などがあげられると思います。その前段階として、企業や強者の側に立つ者から、公的機関を動かしてスラップ訴訟をおこすよう工作することも含めて、アメリカでは言論の危機として大きな問題になったものです。

 裁判をおこすことは広く認められた大切な権利です。ですがそれだけに、これを悪用して弱者を痛めつけて黙らせる行為は到底許されるものではありません。アメリカの反スラップ法はこの二つの権利の調和をはかったものとは言えるでしょう。その点、上のトチローさんがあげている澤藤氏の主張は、一方的に強者の裁判を起こす権利だけを擁護したもので、弱者の言論の自由を軽視または無視している点でバランスを欠き失当であると言わざるを得ません。

 また、この問題は名誉毀損における出版の問題(検閲)や、ヘイトスピーチの問題と似た点として、実際にヘイト言論などが流布されたり、スラップ訴訟が提訴されて被告がそれに応訴するまで、つまり市民側が大きな被害を受けることを事前に禁止するのが難しいという問題もあります。余談ですがヘイト側が自らが行った人権侵害について事後にその責任を問われるような訴訟を、ヘイト勢力が「スラップ」とか「言論弾圧」などとほざいてる場合がありますが、人権と言論を守るための反スラップの議論を「人権侵害の『自由』を認めろ」などという、全く問題を逆さまに言いくるめたヘソが茶を沸かす暴論とさえ言えないお笑い種でしょう。

 いずれにせよ、制度を悪用した新しい問題であり、従来の制度の欠陥と言えるものですから、今までの制度内では対応しきれません。この点でも澤藤氏の「制度上問題ない論」では、論点に全く触れえない時点で失当です。それでは、原告の比較強者が、たとえわずかでも勝つ可能性がある限り、スラップ訴訟は合法になって止めることができません。そしてたとえ敗訴しようとも、市民側を痛めつけ恫喝するという強者側の目的は達成されてしまいます。

 考えられる対応策としては、(1)反スラップ法などの立法論、(2)スラップ訴訟がヘイトスピーチなどと同じ反社会的なものであることを広く認知させる運動、(3)司法においては権利濫用法理などでスラップを認めない判例を確立していく、などが考えられると思います。

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